1995 インターネット元年から20数年で変わったこと

こんにちは。校長です。久しぶりの投稿です。

最近、何度か立て続けに後輩と朝食やランチ、そして飲む機会がありまして、そこで出た話をいくつか、記録に残しておきたいと思います。

記録に残す理由としては、これまでこの道場にインターンとして入ってきてくれて、今は立派に社会人として活躍している後輩たちや

私が新卒でお世話になった会社や、また大学の頼もしい後輩たちにも、忙しい中いつかこのサイトに戻ってきてくれた時に、何かのヒントやきっかけを伝えられたらと思うためです。

さて、前置きが長くなりましたが僕が高校を卒業した頃、インターネット元年と呼ばれていました。

今では想像も出来ないと思いますが、インターネットは一部のパソコンオタク(僕もその一人でしたが)と呼ばれる人だけのもので、

モデムと呼ばれる機器をパソコンに接続し、ダイアルアップ回線で、10~20 kbps台で (今は数十Mbps)インターネットに接続していました。

カケホーダイが出てきてからは、夜23時にかけまくり、明け方までネットサーフィン(死語)をして大学には遅刻の日々であったこともついこの間のようです。

携帯 (PHS)もまだまだ普及していなかったので、駅の改札で待ち合わせ、会えなかったときは伝言板にメッセージを書いたりしました。

(あまり昔話をしていると、後輩たちも飽きてしまうのでこの辺りにしておきます。)

あれから、20数年、もうすぐ四半世紀。ただのパソコンオタクであった僕もいつの間にか2児の父親になっていました。

その間、大きく社会、そして人々の行動様式は変化しました。

何が変化したか、というと、「検索」に尽きるのではないかと思います。

何か気になることがあれば、ことあるごとにネットで「検索」を行うようになりました。

何か買いたいな、と思ったら、Amazon や 楽天、価格.com で 「検索」

おいしいものを食べたいな、と思ったら、食べログや、Retty で「検索」

テレビで気になるニュースがやっていたら、掲示板などで、「検索」

サーチエンジンで 興味のある分野はとりあえず「検索」

気になる人がいれば、SNS や ブログサイトで「検索」

友人の待ち合わせや、仕事の打ち合わせの場所は、マップサービスなどで「検索」

といった具合に、もはや「検索」は私たちの生活の基盤とも言えます。

それ以前はどうだったか、というと、テレビ、新聞、本、などやはりマスマディアの力が大きかったのではないかと思います。

最新の情報はテレビや新聞・雑誌から仕入れ、何かを調べたくなったら、書店や図書館で調べていたと思います。

それが今や、小学校低学年の息子も音声入力で、スマートスピーカーや、iPhone の音声入力で、検索を行い

得たい情報を即座に得ています。

「検索」という行為はとても「能動的」だといえます。

どのようなワードで検索するか、自分で考え、ときにはそのワードを調整し、最適な結果を得られるよう行動しているからです。

そして、その「検索」の結果得られる情報源は、マスマディアだけではなく、一般個人が提供している「知」の結集でもあります。

検索エンジンは信頼性の高い情報を、自動的に検索結果上位に表示されるようにしているため、自然と信ぴょう性の低い情報は淘汰されていきます。

SNSなどで、一時的にデマが拡散されることがあっても、更に一工夫して検索すれば、すぐにその情報はデマであると判明することがほとんどです。

そしてそれがデマだということも、同じくSNSを通じて広まっていきます。

この影響を最も今、受けているのが、大手マスメディアだと思います。

大手マスメディアはこれまで、自分たちが発した情報が正しいと思われていたのですが、

「検索」時代以降は、その情報が常に検証されるようになってしまいました。

これまでは、いわば自分たちの意のままに世論を誘導することも出来ていたのですが、「検索」時代においては、その影響力は

「検索」を行わない、ネットを見ない世代にしか通用しなくなってしまいました。

そうした世代以外には、マスメディアが「相対化」したといえます。

「相対化」の典型例は、Google News などで、一つのニュースについても各メディアの記事が横並びで、表示されるようになったことです。

これにより、一つのニュースが各メディアでこんなに違うのか、ということが白日の下にさらされるようになりました。

何か裏の意図をもっているため、論理的に破綻した無茶苦茶な記事も、「検索」し「検証」され、さらにネットで拡散されるようになりました。

そしてある新聞社は急激に発行部数が落ち始めているようです。

「検索」時代は少しずつですが、私たちの時代をいい方向に導いていると思います。

しかしその時代に求められているのは、「検索」した結果を吟味し、自分の頭で考え、取捨選択のできる能力、これが大切ではないかと思います。

ただ私は若干楽観視はしています。小さいころから「検索」に慣れ親しんでいた世代は、もともとそういった能力が鍛えらているためです。

(私の息子も「検索」した結果を見て、これはないだろ~ などと言っていましたので。)

そして次回は、この後に後輩たちと議論した「会社と出世」について、取り上げたいと思います。

(つづく)